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◆ナナロロ


「ナナリー」
ドアをノックして声をかけると、すこしゆっくりとした足音が近づいてきた。
「ロロ?」
「お茶とお菓子持ってるから、少しずつドア開けて」
え、と悲鳴のような響きとともに。勢いよく開いた扉に、ちいさく苦笑をもらす。
「ナナリー、危ないってば」
「でも!」
「平気だよ。意外とすぐ慣れた」

視点の高さがいつもと逆だ。
立っているナナリーと――――車椅子に乗っている、僕。

「私の車椅子、ですよね」
「うん」
少し小さくはあるけれど。ナナリーの力を考慮して、かなり軽めに作ってあるので、
操作にまったく問題はない。
「お兄様は……」
「納得しかねてたみたいだけど」
今はキッチンにこもってるけど、CCさんが一緒だから。
「たぶん、ピザ生地相手に鬱憤をはらしてるんじゃないかな」
「………」
しょぼんとうつむいた栗毛色の頭を、やんわりと撫でる。
「ナナリーの言い分は嬉しいけど。今回は、兄さんが正しいと思うよ」

ことのはじまりは、僕が足を折ったこと。
片方は骨折で、片方は痛めただけだったから、素直に杖でなんとかなるだろうとタカをくくっていたけれど。
「学校に行く? だめだ、体育だけ休めばいいってもんでもないんだから」
――――兄の心配症は健在だった。そして。
「じゃあ、私の車椅子を使えばいいのでは」
その気質は、確実に妹にも引き継がれていた。
「ナナリー。車椅子は一台しかないんだから。おまえだってまだ使うだろう」
「もう頼りません!」
で、はじまった壮絶な兄妹喧嘩……途中で来たスザクさん曰く「過去最大級」……は結局、咲世子の一声で明日に持ち越しになった。

「まだリハビリだってはじめたばかりだし。1日杖に頼るだけの力がないのは、自分でよく解ってるだろ?」
「……はい」
「僕は兄さんの言うとおり、どうしても外せない日以外は休んでもいい。朝晩はリヴァルさんが送迎してくれるらしいし」
スザクさんはその伝言にきて巻き込まれたのだが。
「でも。ロロ、学校休みたくないでしょう?」
兄妹の護衛の任をはずれて、ようやく一生徒として通えるようになったのだから。
「それはそれ、だよ。周りに迷惑はかけられないし」
護衛の任をはずれたのは表向きだけだから、実際は咲世子に頼むんだけど。
「………」
「ナナリー。そんなに気を使わなくても」
言いつつ、これは無理かなと思った。
『実の兄弟』ではなく『護衛として置かれた臣下』。それすらも実は嘘であることを、僕と兄はたぶん、彼女に告げることはないだろう。
「でも」
まだ不満げだ。その顔に、僕はちょっと笑い返す。
「……ナナリーよりかは、僕のほうが力もあるしね」
杖で大丈夫だと思う、でも。
「ナナリーの気持ちは嬉しいから、今晩だけ、借りるね」
軽く車椅子の肘おきを叩きながら言うと、ようやくすこし表情が明るくなった。
「ロロ」
「ん?」
ふわり、と髪が頬をくすぐって。
動く事も出来ず言葉もなくした僕にしがみついたまま、ナナリーはかすかにつぶやいた。

「気を、つかってるんじゃ、ないのよ」

それと同時に。頬をかすめた濡れた感触がなんなのか、僕には理解できなかった。



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